三毛別部落羆(ヒグマ)事件復元施設の記録 08 10


ヒグマの被害は最近でも死亡事故が報道されておりますが、最も有名なのは三毛別部落での惨事でしょう。
1915年7人が食い殺され、戦後になってから小説やテレビドラマになっております。

古丹別の街で国道239号線から道々1049号線へ三毛別川沿いに南下。
道の周囲はおだやかな田園風景。想像していたイメージとは大違い。
道はベアーロードと名付けられ、家屋にはその看板。
施設を訪れる人のため、観光振興の発想からでしょうが、当時の人々の心情を思うと、違和感が。

谷間の平野が狭くなってきて三渓神社。羆被害者の鎮魂の碑が。
建立の施主は大川春義氏。事件当時7歳で、家が討伐隊の本部に使われた。
殺された人一人に羆10頭の仇を討とうと発起、102頭を射止た名人。
その先に「射止の橋」、事件復元施設の5km手前。この付近で加害羆を仕留めた。
ここが最終人家でこの先上流の田畑は家屋はあるものの通いで耕している様子。
6人が死亡の明景家跡はここと太田家跡の間。残念ながら未確認。

上流へ車を進め道々終点。舗装が途切れ、林道へ。
200m進んで、鬱蒼とした林間に復元施設。太田家跡
当時の開拓民の住居をボランテァが復元したもの。
柱梁は丸太を組んで縄で固定。屋根・壁は葦のような草で葺かれ。
冬の厳しい寒さをよくしのいだもの。
住居の横に熊の像。周囲に慰霊碑。看板。粉つき小屋など。

開拓民の苦労と受難を思い。しばし暗然。
尊い命をもって、羆の恐ろしさ、対策の大事さを今日に残していただきました。
この事件がなかったら、行政の対応も遅く、本州のような状況になっていたかもしれません。

この日の宿は苫前町古丹別の「ななかまどの館」。
大川春義氏の子息、大川桃義氏が受託管理、スケジュールに追われ、お話を聞くこともなく、バタバタと出立してしまいました。
なお、巨大熊「北海太郎」を射止めた、大川高義氏も春義氏の長男です。

山を歩こう           道内の山歩

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